| 仙台一高バスケットボール部の歴史4 |
| 昭和中期 昭和32(1957)〜51(1976)年 |
| バスケットボール部は県下はもちろん、東北大会・インターハイにおいてもその名を知らしめる活躍をしている。33年は、6月9日の県総体で優勝、7月2日のインターハイ県二次予選決勝で育英高を58−38で破り優勝、インターハイ(青森)へ出場している。38年は、11月7日の全日本総合選手権県大会に新人チームで出場し、決勝戦で北陵会を65−61で破り優勝、東北大会へ出場した。東北大会では全国ランキング5位の秋田いすゞに48−83で惜しくも敗れたが、同月に行われた県新人に優勝したのはもちろんのこと、翌39年1月の仙台市民バスケットボール祭にも優勝した。同年4月18日にはオリンピックのために時期が早まった県体に優勝し、同月の東北高校選手権大会(山形)でも2回戦進出を果たした。5月31日には国体(長岡)に出場し、2回戦に進出した。6月22日の県総体にも優勝し、同月の東北三県大会(NHK杯於山形)の決勝では、加茂水産高校を破り優勝した。8月5日のインターハイ(静岡)では3回戦進出、さらに翌40年7月4日にもインターハイ出場決定戦を制し、8月2日のインターハイ(長崎)では4回戦まで進んだ。同月16日の県体はもちろん、11月28日の県新人にもあっさりと優勝し、県下敵無しのバスケットボール部は優勝街道をさらに驀進した。 41年6月4日県総体優勝、8月4日、インターハイ(秋田)2回戦進出、さらに42年4月のNHK杯東北大会県予選優勝、11月の県新人優勝と続いた。43年5月のNHK杯東北選手権大会(福島)は、決勝戦で能代工に65−76で惜しくも敗れ準優勝となったが、6月3日の県総体で優勝し、8月のインターハイ(広島)では三位決定戦に進出、浜松商に52−59で破れはしたが全国4位という輝かしい成果を上げた。この年のチームは県内公式戦20勝無敗という輝かしい成果をあげた。 44年は6月2日の県総体で優勝、8月のインターハイ(宇都宮)は3回戦に進出した。47年は6月5日の県総体を経て東北大会へ出場、48年は11月の県新人で優勝し、翌49年2月の東北大会(弘前)では決勝トーナメントに進出した。50年は2月の東北大会(盛岡)に出場し、6月9日の県総体に優勝、8月のインターハイ(東京)では2回戦進出を果たした。52年1月には市民バスケット祭で優勝した。 |