仙台一高バスケットボール部の歴史5

昭和後期
昭和52(1977)〜63(1988)
 県下はもちろんのこと東北大会・インターハイでも活躍した。53年6月9日の県総体で優勝したのを始めとして、同月24日の東北大会(福島)に出場したが、惜しくも2回戦で能代工に敗れた。8月のインターハイでも2回戦に進出した。11月9日の県新人でも優勝、東北大会(秋田)へ出場した。54年6月4日の県総体で優勝、8月のインターハイ(大津)では2回戦進出を果たした。またこのインターハイ総合開会式(大津市)では本県選手団の旗手をバスケットボール部主将佐々木喜章がつとめた。56年1月の市内高校バスケットボール大会でも優勝し、6月8日の県総体は準優勝した。57年5月22日には恒例の対二高定期戦が行われ、通算16勝16敗となった。59年6月2日の県総体では準優勝し、同月23日の東北大会(福島)では2回戦に進出した。8月15日の県高校選手権大会では仙台高校を48−47で打ち破り優勝し、10月14日の国体(奈良)には少年の部宮城県選抜チームに選手として八木卓也・出村拓、監督として渡辺斌教諭が参加し、国体少年の部で三位という輝かしい成績を収めた。翌年昭和60年6月1日の県総体では決勝で仙台高校を66−65で破り優勝した。県総体優勝は六年ぶり、12回目のことであり、東北大会・インターハイへ出場した。63年11月21日には県新人で優勝した。
(以上、仙台一中一高百年史より抜粋)

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